『Miki Amritaの水瓶座時代の愛と使命の創り方』
このコラムでは海外ママへ
世界のどこにいても自分らしく
「使命」と「愛」を両立する方法
をテーマに毎月お届けしていきます。
Miki Amrita(ミキアムリタ)
NVC SINGAPORE 代表理事
ジョージワシントン大学ビジネススクール
国際ビジネス専攻経営学修士(MBA)
プロフィールはこちらhttps://nvc.sg/miki/
こんにちはミキアムリタです。
今回は、「執着のちょっと素敵な落とし方」について書いてみました。
執着の対象が強制的に落とされる体験が続いています。
執着というのは、当たり前ですが、その対象物や人が自分にとってもうどうでもよくなった時ではなく、まだまだ首ったけの時に、勇敢に断ち切るからこそ、辛いわけです。
とても大切だと握りしめてきたものほど、手放すのは命がけです。
繋がりを断ち切るのは人間にとって辛い体験の一つでしょう。もはや機能していない、枯れた花のように経過した関係性でも壊せないのはそのためです。
放棄の実践を、手放しと勘違いすることも起きるかもしれません。
執着を落とすとは、それを強く握りしめることを諦め、その拳を開くこと。
その手に握りしめていた対象物や人がたとえどのようになろうとも、関心を持ちながら、去ろうが、来ようが、死のうが、心奪われ過ぎないこと。
確実な万物における真理は、変化なのだから。
しかし、この自由とは、不自由の道を避けて通り、執着で苦しむ体験無くしてに行き着くことはない心の境地、発達段階
誰にも何にも執着しない、最後の執着を手放した時、愛という霊的自由の無限の領域に入っていきます。
執着から愛へ発達する時、私たちに起きる不思議な現象を1つ挙げておきましょう。
霊的自由といわれる無限の領域
ここに来て初めて、愛は愛と呼べるものになります
自分の執着の対象物・人に無関心にならず、愛し続け、けれど心は奪われていないので、他の事や人々も同様に楽しめる自由な状態です。
何にもしがみつかず、何も放棄せず、季節が変わるように全てを去らせ、新しく生まれる可能性に開いている状態を想像してみてください。
執着、相手に対する自分の勝手な思い込み、願望、幻想、妄想、投影、子供の頃からのパターンを愛だと勘違いし、失望を繰り返している自分に出会えますか?
スリルと冒険に満ちた、しかし不安定で不毛な苦しみをうんざりするほど体験しましたか?
これらの問いに「はい」と答えた人のみが、自分を苦しめる執着との決別を選択します。この通過儀礼無くして、次の発達段階に足を踏み入れることはできないのです。
自分が作り上げてきた幻想の世界が機能している時は、人は変わろうとしません。しかし、自分の生きている世界への聖なる失望こそが、次に自分が生きたい王国を創るための燃料です。
この変容の炎に身を投じる勇気とは、愛でない物をその本来の名で呼ぶことを意味します。
ですから炎がまだ弱いうちは、既存の世界を焼き尽く革命を起こすほどの行動力は生まれません。現状維持の方が楽でしょう。
さらに過酷なのは、執着を落とし自分を自由にするには、一人きりになること。
一人あることを楽しめたとき、執着は自然に終了していきます。
この孤独を恐れず旅し、変容の炎に身を投じると自己革命への扉が開きます。
英語で革命はレボリューションと言いますが、その語源は「回転」、巻き戻すこと、権力や組織をかき回してひっくり返すこと。
漢語では「天命が改まる」の意味ですから、権力に平伏した牢獄の環境整備程度で満足するなら、それは革命ではなく順応でしょう。
牢獄生活に順応するなら、目と感覚を閉じること。自分自身の人生を自分で舵取りする力、セルフ・リーダーシップスキルなど必要なく、半分眠ったまま牢獄でも安全に生き延びられるのが、今まででした。
しかしこのパンデミックで今までの常識は非常識となり「天命さえ改め」何にも誰にも囚われない真の「自由」と「愛」を体験したいなら、牢獄でそれを体験することはできません。
なぜならこの発達段階での「愛」と「自由」は同義語だからです。
自分から自由を奪う物や人をどうして愛せるでしょうか?
執着が落ちて無い状態で、真に愛することはできません。しかし、真に愛するために、牢獄を抜け出すには不安と恐怖が伴います。なぜなら牢獄は不自由でも安全だったからしかし執着とは「特定の物や人なしで自分は幸せになれ無いという思い込み」であるなら、この恐怖に向き合うことは解放への抜け道です。
今まで外側から与えられていた安心感や帰属、愛や癒しなど全ての資質を外からではなく、内側から自分に供給することを学ぶのです。
外部供給が途絶えた時こそ、内なる資源を掘り起こすチャンス。もしかすると世界にないと嘆いてきたものを、自分の内側に発見するかもしれません。
それは、十分に起き得えます。なぜなら、その価値を知っているからこそ、あなたは渇望し、離したくないと手を伸ばしているのだから。
渇望し、苦しみを感じている今だからこそ自分を苦悩から救えるのです。やることは極めてシンプルなので試してみてください。
1)聖なる絶望の淵で、もはや必要なものは外からはやってこないときちんと諦めてみる。絶望してみる。
絶望を感じ、不快感情と一緒にいられるだけの勇気と強さを自分のハートに確信した人は次に進んでみてください。
2)今まで外に向かって伸ばしてきた手、感覚そしてエネルギーの全てを自分自身に注いでみます。助けになるなら右腕で自分の左腕を愛でながら自分にこう言ってみましょう。
「お待たせ。ずっと一人にしてごめんね。これから死ぬまで君と一緒にいるよ。」
We are the ones, we have been waiting for….
内なる極性(男女)を統合し、自分の力に目覚めた時、次なる問いは「この世界でどう生き延びるか?」というサバイバルの問題から「どんな世界を創ろうか?」にシフトします。
自分が自分の世界の創造主という生き方です。世界が必要としているもの全ての源泉になる必要はないのです。自分が執着するほど欲しいもの、まずはそれだけを自分に供給できるようになってみる。
あなたが執着している物や人ではなく、そこから得られていた<価値>は何でしょうか?
例えばそれが、愛する人との触れ合いで感じた「温かみ」だったとします。外から与えられていた「温かみ」の供給がなくなってしまった今、どのように感じていますか?
寂しくて、不安で、まるで麻薬が切れた禁断症状のように苦しんでいるかもしれません。しかし、執着を落とせるのはこの禁断症状に苦しんでいる時なのです。
しかも、それらを放棄するやり方ではなく、その価値の源泉に自分自身が繋がることで、他人に頼ることなく、永遠に「温かみ」を自分に供給するやり方で禁断症状から抜けるのです。
内側で達成された現象は、外側の世界にも現れます。
さあ、あなたはどのような価値の創造主となりたいですか?自分の内なるゴールドの種に繋がり、それを世界に提供することがセルフ・リーダーシップの社会的目的です。
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